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【月刊小樽自身2022年11月号】シリーズ百年企業 ガラスの街・小樽を伝える老舗3社

2022.10.25

※記事の内容は、配信時の情報に基づきます。 最新情報は、各施設へお問い合わせください。


2022年8月1日で、小樽に市制が布かれて100年!
小樽市制100年にちなんだ、小樽市内の100年企業紹介シリーズ第3弾。

今回の百年企業は、小樽の歴史とも深く関係のある、ガラス屋さん!

小樽硝子の原点的存在でもある浅原硝子製造所、小樽観光の礎を築いた北一硝子、高い技術力で新たな挑戦を続ける深川硝子工芸の3社をご紹介します。

目次(リンクで移動できます)
小樽はなぜガラス工芸が盛んなの?
浅原硝子製造所
北一硝子
深川硝子工芸



小樽はなぜガラス工芸が盛んなの?

小樽のガラスの歴史は、生活必需品の「石油ランプ」と、漁業に使う「浮き玉」から始まります。
しかしながら、 その後電気の普及やニシン漁の衰退などで、その需要は減少傾向に。

その後、実用性重視だったガラス製品を見直し、デザインにこだわり、インテリアや小物などにも使われるようになっていきました。
それが市民や観光客にも喜ばれ、いつしか「小樽といえばガラス」と定着。
ガラスは小樽の文化へと根付いていったのでした。

詳しくはコチラ:ガラス復活の浪漫





浅原硝子製造所

明治36年(1903年)創業、小樽硝子の原点的存在のガラス工場です。
現在、国内で唯一「ガラスの浮き玉」を製造しています。
4代目である浅原 宰一郎さんにお話をお伺いしました。

4代目 浅原 宰一郎さん

浅原硝子製造所の歴史



1903年 小樽市富岡町に創業。ランプや投薬瓶を製造。
(浅原さん:創業は1903年です。1900年創業と聞いていたのですが、祖父が作成した家系図を見たら1903年創業だったので、今年直しました。
創業者である浅原久吉は九州博多の江戸時代から続くガラス工場の出身で、大阪のガラス工場に丁稚奉公に行き、先輩職人の独立と共に函館に渡りました。その後自身が独立して小樽に来たそうです。)

1940年頃~  漁業用のガラスの浮き玉の需要増加に伴い、旭川、室蘭、釧路、樺太に工場を設立。

1960年頃~ プラスチックの台頭により、経営規模を縮小。
(浅原さん:なんとか細々と生き延びてきたのでしょう。)

2005年 三代目の体調不良と職人の高齢化により工場操業が一時休止。

2007年 三代目の他界をきっかけに、浅原宰一郎さんが事業継承。4代目に就任。
(浅原さん:この時はかなりメディアにも注目されましたね。)

左:1913年頃の工場。「硝子製造所 浅原」の看板が。
右:現在の北一硝子の前身である「浅原硝子店」の写真。

左:1938年頃の自宅(左)と事務所(右奥)の様子。
右:現在の事務所の様子。壁の模様が同じ!

1942年頃の樺太の工場の様子。工員一同での記念写真。



工場継承のストーリー

3代目の方が体調を崩され、一時は操業が止まりました。工場を継ごうと思ったのは、どんな思いがあったのでしょうか?

(浅原さん)当時神奈川で会社勤めをしていました。ガラスの仕事を手伝っていたこともありましたが、親父と馬が合わず家を離れていたんです。
これで浅原硝子の火が消えるなと思いました。出来たら残したかったなと感じる中、父親の葬式で色々な人に帰って来なよと言われました。

(浅原さん)その時僕は45歳。関東で会社員のまま定年を迎えるか、地元に戻って家業を継ぐか、天秤にかけました。
家業のガラス屋を続けることができるのは自分しかいないですから、小樽で頑張ってみようかなと思ったんです。
生まれ育った川に鮭が戻って来るDNAみたいなものかもしれません。



普段の製作について教えてください!



(浅原さん)今、小樽市内にはデザイン性が高い工房が多いけれど、浅原硝子は生活雑器や浮き玉などの実用品を作っていたので、少し他の工房とは毛色が違うかもしれません。

(浅原さん)昔、この工場でたくさん作っていた浮き玉などはプラスチックに置き換わってしまいました。今はインテリアとして浮き球の需要が高いのが、予想外だったところ。漁業用のものが今はインテリアとして使われているなんて、昔の職人は想像していなかったでしょう。



浮き玉キャンドル

¥3,135 ~ ¥9,130
キャンドルを灯せます。
【販売店舗】
運河プラザ
大正硝子店
オンラインショップ

浮き玉キャンドル4号



製作体験もできます!

浮き玉作り 2,500円
浮き玉キャンドル 3,200円
グラス作り 2,500円~
定休:土・日・祝日



↑動画でもチェック!



浅原硝子製造所
ホームページ
小樽市天神1丁目13-20
TEL:0134-25-1415





北一硝子

小樽の観光拠点、小樽堺町通り商店街を中心にガラス製品を販売する北一硝子。小樽観光の礎を築いた会社です。
現在の社長でもある浅原健藏さんが、浅原硝子製造所の小売部門を継承して設立しました。

浅原健藏さん

北一硝子の歴史

創業~ 浅原硝子製造所と同じ会社がはじまり。同じ道のりを歩んできました。

1971年 株式会社浅原硝子店から有限会社北一硝子へ社名変更。
(浅原健藏さんが浅原硝子の小売部門を継承。市内中心部で石油ランプを販売すると観光客から好評に。)

1983年 北一硝子三号館が開店。
(明治時代に建てられた倉庫を店舗として再活用。歴史的建造物を再活用する先駆けとなりました。)

~現在 北一硝子三号館のある堺町周辺には観光施設や店舗が多く集まり、観光の拠点として賑わうエリアへ。

1972年ごろの北一硝子店舗の様子。



北一硝子三号館の開店の経緯は?

小樽観光の礎を築いた存在となった北一硝子三号館。開店にはどのような経緯があったのでしょうか?

(北一硝子の方より)現在の三号館は元々木村倉庫という会社が魚の加工品等を収めていた倉庫として使用しておりましたが、同社が小樽築港の方へ移転することとなり、倉庫を壊そうと考えていたようです。木村倉庫の社長と親しい間柄であったため、倉庫を壊すことに反対したことで倉庫を譲り受けます。その後倉庫を店舗に改修し三号館として開店しました。

(北一硝子の方より)本州各地の古い都市には、長い歴史的背景がありますが、小樽は、近代日本の夜明けに和の文化と洋の文化を同時に取り入れてスタートした町だといえます。それがまた、非常にグローバルな視点で展開したために、特異的な都市形成がなされてきました。このような小樽の成長過程を踏まえれば、都市を保存していく重要な価値があると私たちは考えています。スクラップ・アンド・ビルドによる安易な近代化からのがれ、個性を保持している小樽は、そもそも経済の集散地であるとともに文化の集散地でもあったのです。
この町の魅力を伝えていくのも、小樽に生まれた北一硝子の大切な使命と考えております。



現在のお店の様子はコチラ

北一硝子三号館

お買い物しながら歴史的な建物も楽しむことができます。
10:00~18:00

北一ヴェネツィア美術館

小樽にいながらヴェネツィア旅行♪作品展示の他にも、衣装体験も。
9:00~17:30

北一ホール

167個のランプが店内を照らす幻想的なカフェ。
9:00~17:30

株式会社北一硝子
ホームページ
小樽市堺町7番26号(北一硝子三号館)
TEL : 0134-33-1993





深川硝子工芸

1906年、東京都江東区深川にて創業。
ガラス食器をメインで扱う中規模工場。小樽市内の工場では自社製品の「小樽切子」や、様々な食器ブランドのOEMメーカーとして日々ガラス製品を製造しています。
現社長で6代目の出口健太さんにお話をお伺いしました。

深川硝子工芸の歴史



1905年 東京都深川区(現在の江東区深川)にて創業。
(出口さん:『井田硝子株式会社』という名前で、薬や保存用の瓶を作っていました。)

1923年 関東大震災で工場が焼失。

1945年 戦災で工場消失。
(出口さん:関東大震災と合わせると、2回も工場が無くなり、そこからの復活を遂げています。)

2003年 5代目社長が、北海道小樽市に工場を移転。
(出口さん:東京の工場を解体して、小樽に機械や従業員ごと引っ越しました。)

2018年 出口健太さんが6代目に就任。

写真こそ古いですが、ガラスを作る工程は今と変わっていないそう。

現在の小樽切子製作風景。職人さんの手づくりです。



東京から小樽へ移転した経緯を教えてください!

東京から小樽へ会社をまるごと移転したのは、どういったいきさつがあったのでしょうか?

(出口さん)移転したのは平成15年頃です。
きっかけの一つは、工場周辺の環境の変化。昔は工場地帯だったのがマンションが建ったりして、住宅地化してきました。音もするし、煙突から煙も出るので、居づらくなったんです。
工場が多くある川崎市も移転先の候補地だったのですが、せっかくならガラスで有名な街に移転したいと考えます。
そこで、観光地として、ガラスの街として有名な小樽市が候補地にあがりました。

東京工場の解体の時の様子。
赤レンガの煙突は、その貴重さから当時の石原東京都知事より「解体しないで欲しい」と言われたそう。



現在の製作の様子を教えてください!

小樽では、「深川硝子工芸」の名前を聞く機会は少ないように感じます。自社製品はあるのでしょうか?

(出口さん)深川硝子工芸は、基本的には下請けの工場です。
下請けには下請けの責任があります。というのも、現在国内にうちの代わりになるような会社は3~4社程度しかありません。クリスタルガラスの製品なんかは当社にしか作れない製品も多くあるため、下請けを断ったら製品を作れなくなる会社もあるはずです。

(出口さん)しかし他社の商品を作る中で、自分たちの商品も売りたいと思うようになりました。自社製品が技術力のPRにもなると考えたんです。

(出口さん)どうするか検討していた時、リサイクルの会社の株式会社マテックさんから、自動車の窓ガラスのアップサイクルの協力をしてほしいという話がありました。製品開発の末に「小樽再生ガラス」として販売を始めました。昨今のSDGsの流れにも合致していますよね。

小樽再生ガラス

2,420円(税込)~
富硝子とのコラボ商品。
【販売場所】
小樽百貨UNGA↑(うんがぷらす)
オンラインショップ

洗いやすいシェイプに、
薄い口元がこだわり。

(出口さん)自動車の窓ガラスは扱いづらく、高い技術力の上に完成した商品ともいえます。
会社を続けていく上で、技術の継承が一番難しい。なので若い人にどんどん伝えていくことに重きを置いています。これからも昔と変わらず、人の手で、口から吹いた空気でガラスを作っていくことがポリシーです。

株式会社深川硝子工芸
ホームページ / Instagram
小樽市有幌町2番3号
電話:0134-31-3002



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