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【小樽通2025春号】祝・日本遺産単独認定!3年越しの悲願を叶えた人々の物語

2025.03.15

※記事の内容は、配信時の情報に基づきます。 最新情報は、各施設へお問い合わせください。


2025年2月4日、「北海道の『心臓』と呼ばれたまち・小樽~「民の力」で創られ蘇った北の商都~」が小樽市単独では初の日本遺産に認定されました!

小樽ではほかの地域と連携した「荒波を越えた男たちの夢を紡いだ異空間〜北前船寄港地・船主集落」、「本邦国策を北海道に観よ!〜北の産業革命「炭鉄港」〜」が認定されていましたが、小樽市単独での認定は初となります。



文化庁が認定する、地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリー。ストーリーを語る上で不可欠な魅力ある有形・無形の様々な文化財群を「日本遺産(Japan Heritage)」として総合的に活用する取組です。
日本遺産ポータルサイト



小樽市では2021年に「北海道の『心臓』と呼ばれたまち・小樽〜「民の力」で創られ蘇った北の商都〜」が候補認定され、本認定を目指していました。3年越しの本認定に喜んだ小樽市民は多いのではないでしょうか。

今回は日本遺産の認定に尽力した「小樽市日本遺産推進協議会」事務局のお二人に、これまでの活動を聞いてみました。

小樽市日本遺産推進協議会事務局(小樽市産業港湾部観光振興室)
津田さん(左)、尾本さん(右)



――日本遺産認定おめでとうございます!まず、今回認定された日本遺産の内容を教えていただけますか?

尾本さん)まず日本遺産とは、文化庁が地域の歴史の「ストーリー」を認定し、地域活性化に繋げることを目的とする制度です。今回認定されたのは「北海道の『心臓』と呼ばれたまち・小樽~民の力で創られ蘇った北の商都」という小樽の歴史のストーリー。
このタイトルは、かつて小説家・小林多喜二が随筆「故里の顔」で、小樽のまちを「北海道の心臓みたいな都会」と例えたことから引用されています。

小樽は明治以降に港と鉄道により物流の拠点として急速に発展し、北日本随一の商都となりました。その後、高度経済成長期に衰退するものの、運河の埋立計画を契機に、市民による10年にも及ぶ運河保存運動が展開されます。これぞ正に「民の力」です。

民の力で残された小樽運河

尾本さん)その結果、小樽のまちは現在の姿になり、歴史的な景観を目的に国内外から多くの観光客が訪れる国内有数の観光都市として再生しました。
こうした小樽の歴史のストーリーが日本遺産として認定され、ストーリーを語るうえで不可欠な26件の文化財を構成文化財として指定しています。



――認定まではどのようなことがあったのでしょうか?

津田さん)日本遺産の認定は2015年に日本遺産の制度ができた時からの悲願でした!今年でちょうど10周年の節目の年です。
小樽ではほかの市町村も含まれた「北前船」と「炭鉄港」が認定され、2020年に小樽市単独で取りたいと申請し、見事………落選!
文化庁では2020年までに100件の日本遺産の認定をすると宣言していて、ちょうど104件の認定をした2020年に落選したので、もう認定は無いのか…とその時は思いました。

――落ち込みますね!涙

津田さん)でも、これまで関係者の皆さんとともに取り組んできたことは無駄じゃない。これまでやってきたことは日本遺産じゃなくても街づくりに生かすことができると切り替えました。
そうした中、2021年に候補地域の制度が始まり、再チャレンジ。候補地域になることができ、3年後の今、ついに!

――ついに!

津田さん)日本遺産に本認定されました!
でも日本遺産認定はゴールではなくスタートですから!



――日本遺産認定のために、どのような活動をされてきたのでしょうか?

津田さん)これまでの実施事業には3つの柱がありました。人材育成、調査研究、普及啓発です。日本遺産地域プロデューサーを育成したり、分かりやすい解説集を作ったり、高校生に舞台演劇をやってもらったり…。
観光事業者や学校の先生、地域の街づくり団体の人など、街の現場で活躍されている方の様々な意見を聞きながら事業を決めて実施してきました。

手にしているのが分かりやすい解説集

――強く印象に残っている取り組みはありますか?

尾本さん)地元の高校生と一緒に取り組んだ「ナゾトキ!小樽運河に隠された秘密」です。1日だけのイベントでしたが800人以上の来場があり、盛況でした。

尾本さん)参加者には小学生も居たりして、家族イベントとして来てくれた方が多かった印象です。小樽の歴史にも触れてもらえて、主体は高校生で、「次世代につなぐ」という意味でとても良かったですね。

津田さん)僕は小樽市日本遺産地域プロデューサーの育成です。現在47名いる方々と出会えたのが財産になりました。プロデューサーになってくれた方々は、プロデューサーに認定された後もいろいろなことをしてくれています。インスタグラムを更新してくれたり、イベントを開催するときに日本遺産を絡めてくれたり、ウェブマップを作ったり、高校の先生が学校で授業にしてくれたり。
全国的に見てもこんなに人を育成している地域はなかなかありません。いろんな人のおかげで活動の幅が広がりました。



――やってきたことだけ聞くと、市の職員の方が通常担う仕事とはかなり毛色が違いますよね。

津田さん)僕は楽しかったですよ!

――日本遺産の担当になったときは、どんなことを思ったんですか?

津田さん)俺、歴史弱いんだよな~。って。笑
日本遺産というと専門的なイメージ。これまでの観光振興室での業務で培ってきたものとは違うので、新たな分野へのチャレンジだなって思いました。

尾本さん)僕も歴史は苦手です。笑
でも業務を通して、自分が住んでいる街ってすごい街だと気づかされました。30年以上小樽に住んでいて小樽のこと全然分かってなかった。知れば知るほどどんどん小樽が色づいて見えました。ひとつひとつのピースがはまっていくように。

――尾本さんめっちゃキザですね!

尾本さん)(ニヤッ)



――日本遺産認定がかかった現地調査の際は、審査員の方々をお二人がアテンドしたんですよね。

津田さん)そうです。街の皆さんが地域の歴史なり文化なりを生かして、たくさんの活動をしている。街の皆さんが、熱い思いで小樽の日本遺産構成文化財で盛り上げようとしてくれているんだ、ということを伝えるのが我々の使命だと意識していました。

尾本さん)現地で何を伝えるのか、生の声を重視しました。いままでの実績は資料で見てもらえるけれど、現地の関係者の熱量を審査員の方々に肌で感じてもらいたかった。

津田さん)市民の若い方がイベントを一生懸命やってるとか、旧北海北海製罐㈱小樽工場第3倉庫の活用とか、レールカーニバルとか。

旧北海製缶㈱小樽工場第3倉庫

尾本さん)僕たちはアンテナ。地域の皆さんの活動をしっかりと捉えて伝えるのが役目です。

――津田さんと尾本さんが、そうして市民の活動を伝えてくれたから実現した日本遺産認定なんですね。

津田さん)いえいえ、これは現代の「民の力」で実現した日本遺産認定です!

謙遜するお二人が話す様子を聞いて、観光振興室長からお話が。
二人が様々な活動に顔を出すことで、地域の人々に安心感を与えてくれました。活動している人と日本遺産をつなぐ蝶番のような役割を果たしてくれました。
だそうです。
改めてお二人が日本遺産認定に欠かせない大きな存在だったことを実感します。



――これまでの活動を振り返ってみていかがですか?

津田さん)めっちゃ楽しかったです。具体的なやることが決まってない中、具体的なところは考えながら進めるという感じでした。認定という目標に向かってどういう人たちとどういうことをやろうかと、街の皆さんと一緒に作っていく過程はとても充実していました。

尾本さん)イベントに民間の人が協力してくれたのが嬉しいし、ありがたかった。民の力を痛感した3年間でした。

――日本遺産に認定された今後に期待することはなんでしょうか?

津田さん)認定を機に、より小樽のストーリーを多くの観光客に知ってもらい、観光振興と経済の活性化につなげたい。
日本遺産は小樽に来てくれた人にプラスαの魅力を伝えるのに有効なツール。小樽の魅力の奥深さを伝えることで、もう少し長く小樽に居たい、また行きたいというきっかけにして欲しいです。

尾本さん)「歴史」が観光の動機にはなりづらいですが、その土地の景観や文化には必ず歴史があります。小樽観光の目玉である小樽運河は10年も小樽市民が戦った結果残したものです。
こうしたストーリーが観光に奥行きを与え、そのストーリーが日本遺産と認識してもらえれば、他の日本遺産も楽しむことに波及していくと思います。そうして日本遺産の価値も高まればいいですね。

晴れやかな笑顔です

お二人とも、認定直後のお忙しい時期にインタビューに応じてくださりありがとうございました!



ストーリーの概要と構成文化財(北海道の「心臓」と呼ばれたまち・小樽)

「北海道の『心臓』と呼ばれたまち・小樽」が日本遺産に認定されました。



小樽通編集部 アキコ

小樽に数年前に引っ越してきました。アラサーOLです。豊かな自然と美味しいものを楽しみながら、小樽ライフを満喫しています。まだまだ小樽のことは勉強中。



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