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旅行者の第一印象を決定づけるといってもいいのが、駅舎の存在。小樽駅舎の趣のある建物は、歴史と文化遺産を多く残す街を象徴しています。小樽市民にとっても思い入れのある建物ですが、まだまだ発見も多い小樽駅舎を、あらためてひもといてみます。
有形文化財&都市景観賞
駅舎の歴史的価値の高さは、登録有形文化財であると同時に景観賞などを受賞していることにあらわれます。そうした証が駅舎正面に掲示されているので、ぜひ確認してください。
中央に吹き抜けのホールを設け、左右が2階建てとなり、さらに両端は平屋というユニークな構造などが評価され、2006年に登録有形文化財となりました。2012年には改修工事が行われ、建設当時の外観を復元しています。
今の駅舎は3代目
現在の駅舎が竣工したのは1934(昭和9)年のことです。しかも、北海道内初のコンクリート造の近代駅として誕生しました。この駅舎は、じつは3代目にあたります。最初に建造されたのは1903(明治36)年。当時は函館鉄道株式会社「小樽中央駅」として開業しました。2代目駅舎は少しモダンさも加わった建物だったようです。
駅舎内にあるギャラリー
小樽駅には特別なイベントが行われるときに使用される「ステーションギャラリー」があります。これまでに石原裕次郎メモリアルの写真展や、北海道鉄道140周年記念のパネル展示が行われました。
333燈のランプ
1987年、小樽駅に特色を出したいという機運が高まり、北一硝子からの寄贈で始まったランプ燈の設置。99年、駅改札上などに設置するランプがさらに寄贈され、合計333燈となりました。ホーム側と入口側で、傘の形が微妙に違っています。
駅名の変遷
1903(明治36)年6月28日 函館鉄道株式会社 小樽中央駅開業
(後に北海道鉄道株式会社と改称)
1904(明治37)年7月1日 稲穂駅と改称
1905(明治38)年9月15日 高島駅と改称
1905(明治38)年12月15日 中央小樽駅と改称
1907(明治40)年7月1日 国有鉄道となる
1920(大正9)年7月15日 小樽駅と改称
(JR北海道の資料を基にしています)
文学者と小樽駅
・伊藤整
1919年、余市と中央小樽駅間に通学列車が運転され始めると、中学3年生だった整は下宿をやめ、塩谷の自宅から通いました。列車は3・4両編成で、朝1本と下校時に1本しかなかったので、汽車通学生たちと自然に知り合いました。ウブでオクテだった整の文学も友情も恋愛も、すべてこの通学列車で芽生えました。
・石川啄木
1908年、啄木が小樽日報社に赴任となり、啄木一家は姉夫妻の家に滞在します。姉の夫であったのが山本千三郎初代小樽駅長で、啄木はとてもお世話になったようです。
・宮沢賢治
花巻農学校の教師だった賢治は、修学旅行の生徒を引率して小樽高商を見学し、小樽公園で遊び、小樽駅から汽車で札幌へ向かったことがありました。その頃、小樽高商に4年生として在学していたのは伊藤整でした。
むかい鐘
観光客に人気の鐘ですが、これは明治から1965年ごろまで重要な役割を担って実際に使用されていました。列車到着の予報として打ち鳴らされていたもので、上り列車には二打、下り列車には三打と決められていて、鐘が鳴らされた後数十分で列車が到着するようになっていました。この鐘によって出迎えや行商人でにぎわった光景は、この鐘が人と人との結びつきを象徴しています。ホームには、ミニチュアがあります。
JR小樽駅
小樽市稲穂2-22-15
TEL:0134-22-0771