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「おたる北運河かもめや」店主 がつづるエッセイ vol.2
(小樽通2024冬号 初登場)
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北運河にある小さなわが宿、かもめやの裏に明治から昭和の半ばまで汽車が走っていた手宮線の線路が残っている。この線路跡は、終点の手宮から寿司屋通りまで1.6㎞ほど続いていて、雪が解けると遊歩道になり、線路のわきには季節の花々が咲き乱れるお花畑が出現する。ボランティアの人たちが丹精込めて育てた珍しい花や、土手に咲くさまざまな植物が、北国の季節の訪れを知らせてくれる。この道は毎朝犬のマルコを連れて歩く散歩コースで、土手に自生する花々は、いつ、どこに、何が咲くのか、私の頭の中にきっちり記憶されている。

早春のスイセン、チューリップ、北国の春にふさわしいスズランを大きくした清楚な姿のスノーフレーク、黄色の小花をたわわに枝に付けるレンギョウ、そして薄紫のライラック…。


線路わきに長く続く芝生は、一面タンポポでおおわれることもある。少し経つとシロツメクサ、そしてアカツメクサが地面に広がる。あちこち地面の匂いをかぎながら歩くマルコを連れて花々の精気を感じると、くたびれた細胞がいきいきとよみがえる。

明治期に建てられた重厚な石造りの旧日本郵船の建物の裏を通るのも趣がある。そこの角を曲がると運河公園に出る。この公園も周りに石倉がいくつかあって、正面には威風堂々の日本郵船の建物が見える。桜の季節はことのほか美しいお花見スポットになる。目の前には運河。繁栄の時代の小樽を夢想しながら、早朝の静かなひとときを過ごす、わが魂の洗濯の場所だ。


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運河公園に流れるジャズの名曲「サマータイム」
あるとき、マルコの綱を持ってベンチに座っていた。すると、噴水の向こうに、ムーミンの絵本に出てくるスナフキンンに似た細身の人がベンチに腰かけ、三味線のような楽器を縦に持って、弓を左右に動かし、演奏しているのが見えた。流れてくるメロディーは、なつかしいジャズの名曲サマータイム。

風のようにヒユゥーと吹いてくる少し悲しげなこの音は、私の琴線に触れた。しばらく離れた場所でこの音を聞いていた。するとその人は立ち上がり、楽器を持ってこっちへ来るようだ。よく見ると、その人の後ろを黒っぽい子猫のような小さな動物がトコトコ歩いて来るではないか。あれっ、野良猫かな? その人と小動物は、だんだんこちらへ近づいて来た。
「おはようございます」どちらからともなくあいさつをする。その人は、けっこう年配の女性だった。連れていたのは、猫ほどの大きさの犬だ。
「素敵ですねぇ。その楽器は何ですか?」と私。
「胡弓なんですよ。まだ始めて5年ぐらいなんです。なかなか練習する時間がなくて」と彼女。
「サマータイム、大好きです。こんなところで聞けるとは思わなかったわ」と私はしみじみ言った。
マルコとその小さな犬はけんかもせず、鼻を突き合わせてお互いの様子を探っている。
「仕事で夜勤もあるものですから、せめて休みの時はこうやって公園へ連れてきて散歩させようと思って」
看護師さんか介護士さんかもしれないな、と思う。それにしても、この物悲しい胡弓の音色でのサマータイムは、意外にもぴったりだ。この一連の短い時間、異次元に行ったような気分だった。すでにこの世を去った人が、人として生きた時間を思い出すような…。そう、自分の人生を振り返ると、音楽にすれば「サマータイム」だな。
人は、自分のこれまでの人生を、ある1曲で表すとすれば、どんな曲になるのだろう。1曲がむずかしいとすれば、その時々の曲を。若いころはモーツアルトの「トルコ行進曲」、中年からはベートーベンの「運命」、晩年は北島三郎の「与作」なんてね。
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※記事の内容は、配信時の情報に基づきます。

北運河は哲学の道
宿のおかみのトコトコ歩記(あるき)
(クナウマガジン出版)
内容は、お客さんとのやりとりで、笑ったり、涙したり。背景には、いつもどこかに小樽の風景がある。イラストは、一緒に宿をやっている息子が描いた。こんな深刻な話が、こんなおかしい絵になるの? と母は笑いころげた。このギャップがおもしろい。
1400円で、送料は1冊210円。
注文はかもめやへ
TEL & FAX 0134-23-4241
携帯 090-2816-2865
e-mail kamomeya@sky.plala.or.jp
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「かもめや」店主 佐藤光子
1歳から小樽育ち。東京や札幌で編集の仕事に携わり、2007年から「おたる北運河かもめや」を開業。北運河の小さな宿に集う個性豊かな旅人たちと小樽の風景をつづったエッセイ「ポーが聞こえる」を2013年に出版。小樽をこよなく愛する。