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※記事の内容は、配信時の情報に基づきます。 最新情報は、各施設へお問い合わせください。
「出世坂」を上った先にあるお屋敷
小樽観光で賑わう堺町通り。この通りの途中、山側にある小道を歩いたことはありますか?斜度20%となかなかに息が切れます。しかし、急な坂道なので、1歩1歩と進めるたびに、見える景色がぐんぐん変化するのが楽しかったりもします。登ったところからの景色は、小樽港や石狩湾を眺めることができるので「見晴らし坂」と呼ばれています。
▶坂の話は、こちらもご覧ください!(月刊小樽自身2021年6月号)
この坂の付近には、海運業で成功した板谷宮吉の邸宅「旧板谷邸」(現・海宝樓)や金物商の名取高三郎の邸(現在はマンションになっています)、そしてこれからご紹介する「旧寿原邸」などがあり、当時の経済人が住んでいたことから、「出世坂」とも呼ばれています。
坂を登り切った地点から左手の方向に進むと「旧寿原邸」、その先には「水天宮」もあります。小樽で余生を過ごした明治の剣豪・永倉新八がこの境内で孫に稽古をつけていたとか。
▶おたるコラム「癒しスポット水天宮」もぜひご覧ください!
いかにも坂の街小樽らしい急坂があちこちに伸びているエリア、東雲町。今回の記事では、このエリアにある邸のひとつ「旧寿原邸」に注目です!
まずは、気になる「旧寿原邸」の内部
水天宮の北側の急な傾斜地に建てられ、3つの建物が連なる造り。斜面を三段に地割りして、各建物に面するように作られた庭園も興味深い構造です。言葉で説明するのがなかなか難しい!現地でどんな風になっているのかを実際にご覧になってみてくださいね。
邸内は写真撮影もOKです。カメラ好きな方には、きっとたまらない場所では!?SNSで拡散しちゃいましょう!
▶こちらのホームページには、建物の図面が紹介されています。「旧寿原邸の保存とリノベーション」
「旧寿原邸」をめぐる歴史
この邸の創建者は「小豆将軍」として名を馳せた高橋直治。第一次世界大戦中のヨーロッパに北海道の小豆を輸出し、海外の相場にも影響を与えたという実業家です。
※ちなみに、高橋直治によって小豆を収めるために建てられた倉庫は、現在、小樽芸術村「ステンドグラス美術館」となっています!
大正元年に建てられたこの邸は、昭和9年に寿原外吉の所有となります。寿原外吉さんがどれだけすごい商人だったかというのは、こちら↓
「あくまで小樽の寿原」を自負している寿原一族の戦後の軌跡を見ると、樽僑第一号の名に恥じない。1969(昭和44)年度個人所得税を見ると、小樽税務署管内の第1位は板谷商船社長板谷宮吉の3,122万円。寿原商店社長の寿原外吉は2,410万円で3位だった。それが5年後の49年度になると、板谷宮吉が全道1位、2位は寿原外吉の4億3,800万円だった。
いかに高度成長経済下とはいえ、2人の小樽商人がそろって個人所得税額を5年間で10倍と膨脹させていた背景は何だろう。斜陽といわれながら、小樽経済がなお十分な底力を持っていた、というのが1つの理由ではないだろうか。
(小樽商工会議所ホームページ「小樽商人の軌跡-第6章 野口と寿原~ その3」
邸内には、石蔵を活用したミニミュージアムコーナーもあります。寿原一族についての説明も詳しく書かれていますよ。
寿原邸は、寿原外吉が亡くなった翌年の昭和61年、遺族によって小樽市に寄贈されました。 そして平成3年に小樽市指定歴史的建造物となり、一般公開されていたのですが、老朽化の為に公開中止となってしまいます。
しかし平成29年に改修工事が行われ、令和2年からはNPO法人小樽民家再生プロジェクトが保全事業と活用事業を受託。今年も、土日祝のみの一般開放が行われています。
▶公式ホームページはこちら
財を成した商人が住んでいた邸。時を超えて今もその佇まいが残されているのが旧寿原邸の魅力です。豪商たちが住んでいた頃の小樽に思いを馳せながら、邸内をゆっくりご覧ください。