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【月刊小樽自身2022年4月号】鮮烈でエネルギッシュ 北海道の自然を描いた片岡球子展

2022.03.25

※記事の内容は、配信時の情報に基づきます。 最新情報は、各施設へお問い合わせください。


強烈な色使いと、大胆な造形によるエネルギッシュな作風で知られる片岡球子。北海道ゆかりの日本画家は明治後期に札幌で産まれ、103歳で没するまでの長い生涯を制作にささげました。富士山や武将などの顔の作品で知られますが、今回は北海道の自然を描いた作品を多く展示しています。似鳥美術館での初公開作品を中心に、球子コレクションを一挙に公開。心に火が灯るような、情熱的な作品の数々に注目です。



羊蹄山のみえる洞爺湖



初公開作品
制作年不詳 54.1×72.5cm

北海道南部のカルデラ湖である洞爺湖は、球子の火山行脚の始まりの地といえます。1960年秋に洞爺湖で写生を行い、翌年の個展で最初の火山作品《洞爺湖の羊蹄》などを発表。この作品は洞爺湖から北方向にある羊蹄山を望む情景を描いており、空は色とりどりの躍動的な線に覆われています。

当麻を流れる石狩川



初公開作品
1972年 15.5×25.5cm

1972年に朝日新聞夕刊で連載された吉村昭「流域紀行 石狩川」の第6回挿絵の原画。旭川の東に位置する当麻町を流れる石狩川が、黒を基調とした抑えた色彩で描かれています。

北国



初公開作品
制作年不詳  53.0×72.6cm

球子は、北国育ちならではの生活感覚を作品に反映させようとしました。そして残したのが次の言葉です。「半年、土を見ない生活の中で、春先、やっと顔を出した土の、においを喜ぶ感じは、教えられてわかるものではないし、そうしたものこそ芸術に通ずるわけでしょう。これを日本画できたえたら、おもしろいと思うのです。」

炎(も)える山



初公開作品
制作年不詳 45.5×65.2cm

球子は1960年頃から火山に興味を持ち、日本各地の火山を訪れ描いています。それらの作品については球子は、「いってみれば私の怒りの表現なんです。怒りといっても、大げさなものでなく日常生活の中にいろいろあるでしょ。それが腹にためかねると、火山の絵に託して爆発させる」と述べています。

片岡球子の生涯

103年の生涯を全うした片岡球子は、個性的な作風から、時に「ゲテモノ」と評されることもあったといいます。しかし、球子は鮮烈な色彩と大胆な造形にこだわり、才能が認められるまでに長い時間がかかりました。
1905年 札幌の醸造業を営む家に生まれる。
1923年 画家を志して上京、女子美術学校日本画科に入学。卒業後は小学校教諭として働きながら制作活動に励む。
1930年 再興第17回日本美術院展にて初入選。以後、同展を中心に作品を発表した。
1946年 安田靫彦(やすだゆきひこ)に入門。
1952年 再興第37回院展にて日本美術院賞・大観賞を受賞。 
1967年 サンパウロ・ビエンナーレに日本代表として出品。
1982年 日本芸術院会員に選ばれる。
1986年 文化功労者に選ばれる。
1989年 文化勲章受章。
2008年 死去。

トピック展「片岡球子特集」
会期:2月17日(木)~4月19日(火)まで
開館時間:10:00~16:00
休館日:水(祝日の場合はその翌日)
会場:似鳥美術館2F
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