おたる コラム
日本一、日本初などは人の記憶にも残りやすく、それを町興しの素材に使っている地域も珍しくありません。そんな小樽の日本初、日本で唯一、日本一をシリーズでご紹介していこうと思います。今回はスキーにまつわる日本初のお話です。
スキー全国大会、始まりの場所
小樽でスキーを根付かせた願い
明治後期頃から本格的にスキー術が日本に伝えられたのは軍事利用が目的だったそうですが、小樽にスキーを伝えようとした狙いは違っていました。
小樽高等商業学校(現・小樽商科大学)渡辺校長は、北海道小樽の長い冬季期間に”学生たちの健康を守る為”に運動が必要と考え、スキーの採用を検討していたそうです。やがて「日本スキーの父」と呼ばれるオーストリア陸軍のレルヒ氏が新潟高田にスキー術を伝え残しており、そこでスキー大会が開催されると知ると、講師の苫米地氏を現地へ出張させ、大会後のスキー講習会を受けさせました。
スキー術を学んだ苫米地氏は、スキー3台を持ち帰ってその後も小樽で猛練習。渡辺校長は100台のスキーを購入し、初のスキー練習会を学校前の地獄坂と呼ばれる坂道で開催、そこから小樽のスキー歴史が始まったそうです。
小樽高等商業学校(現・小樽商科大学)渡辺校長は、北海道小樽の長い冬季期間に”学生たちの健康を守る為”に運動が必要と考え、スキーの採用を検討していたそうです。やがて「日本スキーの父」と呼ばれるオーストリア陸軍のレルヒ氏が新潟高田にスキー術を伝え残しており、そこでスキー大会が開催されると知ると、講師の苫米地氏を現地へ出張させ、大会後のスキー講習会を受けさせました。
スキー術を学んだ苫米地氏は、スキー3台を持ち帰ってその後も小樽で猛練習。渡辺校長は100台のスキーを購入し、初のスキー練習会を学校前の地獄坂と呼ばれる坂道で開催、そこから小樽のスキー歴史が始まったそうです。
海まで届きそうなスキーの軌跡
スキー初心者が最初に教わるのは転び方と起き上がり方です。
「無駄な抵抗はせず、流れに従ってお尻から転ぶ」
起き上がる時は、「斜面を利用して持たれかかるように、立ち上がる」面白いのは、転ぶ原因である斜面を、起き上がるときには利用するところです。
スキーの滑った跡を専門用語で「シュプール」と呼ぶのですが、何度転んでも再びそこから滑り始めたら、その軌跡が途切れる事はありません。振り返れば、雪に刻まれた自分の痕跡、先を見ると、自由に描ける白銀の世界。小樽の雪にも、あなたのシュプールを刻んで下されば嬉しいです。
「無駄な抵抗はせず、流れに従ってお尻から転ぶ」
起き上がる時は、「斜面を利用して持たれかかるように、立ち上がる」面白いのは、転ぶ原因である斜面を、起き上がるときには利用するところです。
スキーの滑った跡を専門用語で「シュプール」と呼ぶのですが、何度転んでも再びそこから滑り始めたら、その軌跡が途切れる事はありません。振り返れば、雪に刻まれた自分の痕跡、先を見ると、自由に描ける白銀の世界。小樽の雪にも、あなたのシュプールを刻んで下されば嬉しいです。
参考文献
第35回国民体育大会冬季大会スキー競技会小樽市実行委員会
1980 「スキーのふるさとおたる」
小樽スキー連盟
2013 記念誌「小樽スキー連盟100年史」
第35回国民体育大会冬季大会スキー競技会小樽市実行委員会
1980 「スキーのふるさとおたる」
小樽スキー連盟
2013 記念誌「小樽スキー連盟100年史」
お詫びと訂正
コラムの内容につきまして、一部に不正確な点がありました。深くお詫び申し上げます。
現在、本記事の当該箇所は修正の上公開しております。今後、正確な情報を発信するよう努めてまいります。
2022.4.4 盛合
コラムの内容につきまして、一部に不正確な点がありました。深くお詫び申し上げます。
現在、本記事の当該箇所は修正の上公開しております。今後、正確な情報を発信するよう努めてまいります。
2022.4.4 盛合