おたる コラム

「小樽雪あかりの路」と「伊藤整」

2021年 03月 02日
盛合将矢(フリーライター)

 ロウソクの灯りが小樽の建物や街並み、人々の生き様を静かに照らす「小樽雪あかりの路」 新型コロナウイルスの影響を受け、2021年の開催は中止となりました。

 小樽雪あかりの路、昨年は31万人の来場者数で、過去最高だった2008年は57万5千人もの人が訪れました。まさに冬の北海道を代表するイベントになりましたが、元々は小樽観光の弱点だった「冬」と「夜」を盛り上げたいという理由で、1999年から始まりました。
 同時期に開催されるさっぽろ雪まつりが「動」と「直接照明」で構成されているのに対し、「静」と「間接照明」がコンセプトの軸になっています。
 アニメなどの具体的なキャラクター雪像などは作らず自然の素材を活かした内容など、他の冬のイベントとの違いが感じられます。

■ボランティアの手作りがイベントを支える
 「小樽雪あかりの路はボランティアで支えられている。」とも言われています。開催期間が長く、天候によって毎日変わる雪の表情、それに合わせてスノーキャンドルを作成し補修する作業や、ロウソクの点火と回収など、その内容は多岐にわたります。
 ボランティアには市内の学生や様々な団体が参加し、2002年からは韓国人ボランティアも増えました。年齢や国籍を超えた人の繋がりが生まれ、その輪は年々広がり、深まっていきました。

 筆者も過去にボランティアを経験し、歩道に砂をまいたり、回収したロウソクの角をカッターで削ったり等、様々な作業をやりました。その中で特に記憶に残ってるのはカメラ係です。小樽運河に並ぶ観光客による長蛇の列から順番に手渡されるカメラやスマートフォン。それを操作して、運河やオブジェが背景に映り込むように写真を撮影するのですが、ピントを合わせたりシャッターを押すために手袋はつけられず、寒さに晒されたままで指がもげるかと思いました。
 そんな寒さも、お客さんの笑顔や他のボランティアからの心遣いで、辛いというより楽しかった思い出が、強く印象に残っています。

名前の由来は詩人 伊藤整の詩集

 小樽出身の小説家 伊藤整は 12人兄弟の長男として松前郡に生まれました。1才の時に塩谷村(現・小樽市)に移り、大正11年には小樽高等商業学校(現・小樽商科大学)に入学しました。この頃の小樽と言えば、北防波堤に続き南防波堤が作られ、小樽運河が完成、色内には銀行が立ち並ぶ輝かしい時代です。そんな小樽で、中学三年生の時に偶然手にした一冊の詩集により、詩の言葉が持つ美しさに悦惚とされ、その魅力に取りつかれていったそうです。

 東京の銀行への就職話があっても、体調の悪かった父の元を離れる事が出来なかった伊藤整。やむなく小樽市中学校の教諭として働きますが、詩人になる夢を諦めきれず、書き溜めていた300余りの詩の中から厳選して詩集を出すことを決意しました。
 「凍り付いてほの明るい雪の夜の感じを生かそう」として、タイトルを「雪明りの路」と名づけ、116の詩を綴った詩集は300部が自費出版されました。

■一冊の本との出会い
 ある時、伊藤整は古本屋で一冊の素晴らしい詩集に出会います。しかし、その作者を調べても全くの無名だったそうです。
 名声とは無縁でも人を感動させる力のある作品がこの世には存在する。無名の詩人で終わったとしても、自分が納得できる一冊をこの世に残したい。と思ったそうです。
 詩集「雪明りの路」(日本図書センター)の前書きにこう書かれています。
「私の長い間の苦難に対して、私は私だけの道を歩いて来たとばかりの誇は持つ資格があると信じたいのだ。」
 自分の夢に正直に、その炎を絶やさずに、有名になる為ではなく自分が納得する為に、選んだ道を歩み続け、この道は間違っていなかったと信じた伊藤整。 寒さに耐え一人で歩んだ雪明りの路は、みんなの温もりが集い、世界に感動を響かせる、この街の文化になりました。

雪あかりのスピリット

 今年の「小樽雪あかりの路23」は中止となりましたが、市民が自発的に自宅前やお店の前でオブジェを作りロウソクを灯している様子や、過去の雪あかりの写真がSNS等に次々にアップされました。イベントが中止になったとしても、イベントの本質をそれぞれが解釈し、制限の中で出来る事を探して行動した小樽の人たち。雪の嵐が来ようとも、100年に一度のウイルスがこの国を襲っても、市民の心に灯る明りは決して消える事はありません。

■参考文献
・詩集「雪明りの路」伊藤整/日本図書センター
・伊藤整文学賞二十五年の歩み/伊藤整文学賞の会
・小樽雪あかりの路20周年記念誌