おたる コラム
2月を迎えた。私が小樽に移住して丸2年になる。ただ好きだという気持ちだけで、親戚も知人もいない小樽の町へ、生業を畳んでやってきた。それまで旅行者として何十回も訪れていたのだが、生活してみると改めて、いいなぁと感じることがある。
一つは小樽の人の言葉の優しさだ。耳にも心にも優しい心地よい響きに和まされる。相手の何かを尋ねるとき、語尾に「~かい?」が着けられる。
例えば、「大丈夫かい?」と言われ顔を覗き込まれると、相手の思いやりが感じられ温かい気持ちになるのだ。共通語ではこの場合、単に語尾上げの抑揚をつけ「大丈夫?」で、丁寧な表現になると「大丈夫ですか?」となる。このような表現に長年馴染んできたにもかかわらず、今となっては何とも味気なく感じられる。
また、お礼を言うと、「なんもだよ」と返されるが、同じように共通語に置き換えると、「どういたしまして」となる。これもまたよそよそしい感じだ。「~かい?」も「なんもだよ」も親しみが感じられ、相手に親近感が湧き、お互いの距離がぐっと縮められる。
私は小樽の優しい言い回しが好きだ。
一つは小樽の人の言葉の優しさだ。耳にも心にも優しい心地よい響きに和まされる。相手の何かを尋ねるとき、語尾に「~かい?」が着けられる。
例えば、「大丈夫かい?」と言われ顔を覗き込まれると、相手の思いやりが感じられ温かい気持ちになるのだ。共通語ではこの場合、単に語尾上げの抑揚をつけ「大丈夫?」で、丁寧な表現になると「大丈夫ですか?」となる。このような表現に長年馴染んできたにもかかわらず、今となっては何とも味気なく感じられる。
また、お礼を言うと、「なんもだよ」と返されるが、同じように共通語に置き換えると、「どういたしまして」となる。これもまたよそよそしい感じだ。「~かい?」も「なんもだよ」も親しみが感じられ、相手に親近感が湧き、お互いの距離がぐっと縮められる。
私は小樽の優しい言い回しが好きだ。
小樽の町から優しさと学びを与えられた私は、これから小樽に希望の種を播き続ける。社会は少しづつ前へ進んでいく。小樽が人にも自然にも優しい、いい町になることが、私の夢である。