おたる コラム

艀が繋いだ最後の荷物

2021年 04月 13日
盛合将矢(フリーライター)



2020年の8月、小樽運河から最後の艀が撤去されました。恥ずかしながら最近まで「艀」の漢字が読めず、ハシゴのような意味かと勘違いしていました。ただ、艀と小樽運河の関係性を知ると、歴史の面白さが見えてきます。


■艀(はしけ)とは?
 水深の浅い海で貨物を運ぶために作られた船で、荷物を置くスペースを広くするためにエンジンを積まず、タグボートなどで曳かれました。埠頭が出来るまではこの艀が大活躍、沖に停泊した大きい船と倉庫を何度も往復し、大正13年には約600隻の艀が運河内を行き交っていたそうです。

■海を埋め立てて出来た運河
 明治初期、港と鉄道を持っていた小樽は北海道発展の重要な拠点となりました。そんな小樽港を目指して多くの船が集まり、海の上は船の大渋滞。それを改善するために考えられたのが、艀の置き場所を増やすための運河式埋め立て計画でした。
 もともと”埋立式”と”埠頭式”の二つの計画がありましたが、埋立式を支持したのは北防波堤建設のリーダーだった広井勇博士。出張中の海外からも手紙を書くほどに、小樽の港や労働者を心配していたようです。第一期運河式埋立工事は大正3年に着工、同12年に完了し小樽運河が誕生しました。


■小樽運河のタブー
 「小樽運河を作ったのではなく、海を埋め立てた結果、運河が出来上がった。」その事実と出会ったとき、とても興味が沸きました。しかし、「埋め立て」と聞くと運河保存運動を連想させ、小樽市民の自分にとっては”のどに刺さった魚の骨”のような感じがしていました。 「運河保存運動について取材をするのなら、慎重にね」もう10数年以上前ですが、筆者が大学を卒業して取材活動をしているとき、そんな事を言われた記憶があります。運河論争を語るのはこの街のタブー、という空気を少し感じていました。

■観光都市・小樽
 今では年間800万人が訪れる観光都市の中心的資源となった小樽運河。ここで記念撮影をするとき、又は故郷小樽を思い返すとき、海と歴史のロマンを重ねて会話が生まれたら素敵だと思います。それが、最後の艀が届けてくれた”物語という荷物”だったと思うのです。

参考文献
小樽運河史 1979年