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夏だ!海だ!防波堤だ!!【Webマガジン小樽通】

2026.08.27

小樽港を眺めていると、沖合に長く伸びる巨大な構造物が見える。

「ああ、防波堤だ」

多くの人はそこで思考を止めてしまうだろう。しかし、小樽港の防波堤はただの防波堤ではない。
どうやら小樽港の防波堤は重要文化財に指定されているらしい。

重要文化財?防波堤が?

観光パンフレットの表紙にはならない、SNS映えも難しい。そんな防波堤が?

今回は、なぜ一見すると地味な防波堤が重要文化財に指定されたのか、その知られざる背景を探ってみよう。

※記事の内容は、配信時の情報に基づきます。 最新情報は、各施設へお問い合わせください。




【目次】
▸今回お話を伺ったのは、小樽港湾事務所の林所長
▸そもそも防波堤って何のためにあるの?       
▸「100年以上無休」の防波堤を作った人物とは?   
▸当時の世界最高水準の技術!知られざる建設方法とは?
▸小樽市民でも知らない、衝撃の事実
▸結びに



今回お話を伺ったのは、小樽港湾事務所の林所長である。小樽港湾事務所には「みなとの資料コーナー」が併設されていて、小樽港建設の歴史を知ることができる。

私はまず、率直な疑問をぶつけてみた。



「防波堤は港内の静穏度を保つための施設なんです」

林所長は語る。

「船が港に安全に出入りし、停泊するためには、港の中が穏やかであることが欠かせません。特に小樽港は日本海に面しており、冬季には非常に強い波が押し寄せるので、防波堤がなければ安全に荷役ができなかったり、岸壁に係留中の船はぶつかって損傷してしまいます。防波堤がなければ港としての機能を十分に果たせないんですよ」

勝納埠頭(フェリーターミナル)

冬の荒波をしっかりと受け止め、港と街を守る防波堤

__防波堤にそんな重要な役割があったなんて。ちなみに小樽港の防波堤はいつ頃作られたんですか?

「小樽港の主要な防波堤である北防波堤、南防波堤、島防波堤は、明治時代から大正時代にかけて整備されました。北防波堤の整備を行った第1期工事は1897年に着工し、その後の第2期工事では南防波堤、島防波堤、北防波堤延長部が建設されました。最終的に1921年に全体の整備が完了したんですよ」

なんと!完成から100年以上もの間、波から小樽を守り続けているんですね!



__そんなにすごい防波堤。いったい誰が作ったんですか?

「これらの防波堤整備を主導したのは小樽築港事務所 初代所長の廣井 勇(ひろい いさみ)博士
と、第3代所長の伊藤 長右衛門(いとう ちょうえもん)です」

写真左:初代所長の廣井 勇(ひろい いさみ)博士
写真右:第3代所長の伊藤 長右衛門(いとう ちょうえもん)

廣井博士は初代所長として調査から計画、設計、施工までを総合的に指揮し、北防波堤を完成させた。廣井博士は、当時日本の港はお雇い外国人によって行われていた港の整備を、調査~施工まですべてを日本人の手によって行った。そして、3代目所長の伊藤長右衛門がその後を継ぎ、第2期工事を統括したそうだ。

ここで、第53代所長の林所長から衝撃の事実が…

「実は北防波堤・南防波堤と島防波堤では構造形式が異なるんですよ」

なんだって!!



「北防波堤・南防波堤で特徴的なのは「斜塊(しゃかい)構造」です」

しゃかいこうぞう?

「コンクリートブロックを斜めに積んでいく構造で、ブロックが相互にもたれ合うことで摩擦力を引き上げ、波への抵抗力を高めているんです。それ以外にもブロック同士の連結を強化するための凹凸や古いレールを活用した鍄(かすがい)など、緻密な工夫が施されているんですよ」

そう説明する林所長、しかし、この防波堤のすごさはそれだけではなかった。

「廣井博士はコンクリートに火山灰を使用することについてドイツの学説をもとに検証を行い、火山灰を配合したコンクリートを北防波堤に使用しました。重大な工事に火山灰を配合したコンクリートを使用したのは世界で初めてでした。こうして工費の節約と耐海水性の向上が図られることになりました」

モルタル製造では手動による配合ムラを無くすため機械を使用

抗張力試験用モルタルブリケット

抗張力試験器

塊(ブロック)製造に関する心得

実際に使用されていた斜塊ブロック

水上に出ている上部は、太陽や波の影響で下部よりも表面が劣化しています。

なんと!形状や積み方だけではなく、材料からこだわっていたなんて!!

「その他にも、施工においては、スローピングブロックシステムという機械化一貫施工システムが用いられました。ブロックを運搬する軌道起重機ゴライアス、運搬したブロックを海中へ正確に設置する軌道積畳機タイタンなどが使われていたんですよ」

軌道積畳機タイタンの模型

__そんな最先端な技術が使われていたんですね、、第2期工事ではどんな技術が用いられたんですか?

「第2期工事で使用されたケーソンの製作では、斜路式ケーソン製作ヤードが使われました」

__ん??なんですか?それは

「この工法は、当時の軍艦の進水方法に着想を得たものです。斜路式ケーソン製作ヤードで製作したケーソンは、自らの重さで斜面を滑り降り、そのまま海に進水させ、船のように浮かべて設置場所まで運ぶという、当時としては画期的な方法だったそうです。」

ケーソンというのは、ざっくり言うと中が空洞の巨大なコンクリート製の箱であり、海に浮かべて設置箇所まで運んだあと、ケーソン内に海水を注入し一度沈めて、さらに砂を詰めてコンクリートで蓋をして、防波堤を形作るのだそう。

斜路式ケーソン製作ヤードの模型

「この工法によってコストの大幅削減や作業が簡素化されたので、その後全国の港湾に普及していって、現在でも使われる技術なんですよ」

当時の技術者たちが試行錯誤の末に生み出した工夫が、100年以上たった今も受け継がれているんですね…



ここまで読んだ読者の中には
「そんなこと知ってるよ」
という防波堤ツウな読者もいるかもしれない

__防波堤ツウな小樽市民でも驚くような事実はありますか?

「100年以上前に造られた防波堤が今も現役で使われていることです」

(あのー、それはさっき聞いたような…)

100年以上現役というと、丈夫な構造ばかりに目が行きがちだ。
しかし林所長が本当に伝えたかったのは別の点だった。

「廣井博士は、将来の小樽港で扱われる貨物量や必要な港の広さまで見据えて修築計画を立てていたんです」

実際、明治29年に廣井博士が描いた修築計画図と現在の小樽港を見比べると、その骨格はほとんど変わっていない。

明治29年に廣井博士が書いた『修築計画図』

現在の小樽港

つまり小樽港の防波堤は、100年以上壊れずに残っただけではない。

当時としては将来の港の発展を見据えた計画が、100年以上経過した現在も港の骨格として機能しているのである。

この事実には目を見張った。



小樽港防波堤が重要文化財に指定された背景、よくわかりました。

「重要文化財 小樽港防波堤施設は、単なる古い建物ではありません。100年以上前の技術者たちが知恵と技術を結集して造り上げ、今なお北海道の物流と人々の暮らしを支えている現役の施設です。私たちの身近な港に、世界に誇れる重要文化財があります。ぜひ現地やみなと資料コーナーに足を運び、小樽港の歴史や先人たちの技術力に触れていただければと思います」

林所長、お忙しい中ありがとうございました。

港湾事務所から外に出ると、そこには海が広がってた。

今までなんとなく目に入っていた沖合に長く伸びる巨大な構造物は、100年以上私たちの暮らしを陰ながら支え続けてきたのである。



小樽通編集部ライター 澤口圭太郎
記事を書いている自称ライターです。
知らないものを見つけると、とりあえず近づいてみます。
海を見ると落ち着きます。山でも落ち着きます。



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